naoki101のブログ

都内の学生です。このブログでは日々感じたこと、発見したことを自由に書いていこうと思います。

援助の前提。

今、ゼミ論を書こうと思っているんですけど、全く気持ちが向かずあっという間に三時間が過ぎ、今このブログ書いてます、、笑 これ書いたら、ゼミ論頑張ろ笑

 

自分は学生時代を通じて、国際協力系の事に興味を持ち実践していました。きっかけは浪人時代の英語の先生(自分の恩師です)が途上国の事を良く話されていて触発されたことです。良い意味でも悪い意味でも、影響を受けやすい自分は、大学入学後、さっそく国際協力系のプロジェクトに参加しました。ケニアの植林系のボランティア活動です。その後、国際関係の本質をより知りたいと思い、大学でJICAが開いていた授業を大学で取ったりもしました。そういった経験から気付いたこと・感じたことは大きく二つありました。

一つは、個人の意味で、援助を行う側は自己犠牲をするのではなく既に幸せだと感じられる状態で行うべきだということ。自分が考える人生を生きる上で最も重要な事は幸せである事です。そして、幸せは経済力や物理的な意味で、ある程度ベースメントがないと成り立たないと考えています。このベースメントを削り、自分がキツイ生活を送ってまで、援助は行うべきではないと、私は考えます。援助する側とされる側がお互い幸せであるからこそ、援助は成り立つのではないかと考えています。

二つ目は途上国にとって物質的援助はもちろん、必要である一方で精神的援助も必要ではないかと私は考えます。これはケニアに行き、幸せとは何かに関して、悶々としていた自分が下の記事を読んだ際に感じたことです。

logmi.jp

プレゼンタ―の方はネパールで化粧のワークショップを貧困層の女性に向けて開いています。ワークショップに参加する女性たちは、子供の時から早くから嫁いだり、時には売春婦として働かされていたため、時間的にも経済的にもおしゃれなどをする余裕なく過ごしてきました。そんな彼女たちに“美しい瞬間”を提供するために、プレゼンタ―の方はワークショップを開きました。この経験から、プレゼンターの方がおっしゃった「本当はみんな、説明出来る事だったり、再現、可能性があることだったり、効果測定出来ることだったり、そんなものを飛び越えた、もっと先にある煌めきや、一度きりの感動を見たいのではないかなという風に思っています。」という言葉が個人的に印象に残っています。援助の目的を人々が幸せな環境を作る事と定義するなら、インフラや食料といった物理的援助は言わずもがな重要ですが、精神的援助を行うことが、ただ生活を送るだけでなく、幸せに生活をしていく上で重要な事なのではないかと私は考えます。

もちろん、国際協力に(本当に少し)関わる事を通じて、感じたこと・気付いたことはこれだけではないでないですが、特にこの二つが印象に残っていたので本ブログに書かせていただきました。読み返してみると本当に言葉足らずで、どこか説教臭いですね笑 すみません、、笑

長文失礼いたしました。